院長の考え方
理学療法士が東洋医学に触れて驚いたこと
私は理学療法士として働きながら、夜間の学校に通い、鍼灸師の資格を取得しました。
鍼灸師が学ぶ東洋医学には、「つぼ」という概念があります。
専門的には「経穴(けいけつ)」と呼ばれ、身体の表面に存在し、刺激することで何らかの治療効果が期待されるポイントです。
経穴には、「足三里は胃の不調に用いられる」「三陰交は月経に伴う症状に用いられる」といった伝承があり、内臓などへの作用を期待して刺激されることもあります。
現在、WHOの標準化では361の経穴が整理されています。
そんな経穴について学んでいるとき、私はあることに驚かされました。
それは、経穴の多くが、私が理学療法士として長年患者さんの身体に触れる中で、「ここはしっかり触れたほうがいい」と感じていた場所と、驚くほど重なっていたことです。
手が止まる場所
大腿四頭筋を例にしてみます。
私はこれまで、何年もの間、たくさんの人の大腿四頭筋に触れてきました。
すると、いつの間にか、
「この人は、ここをもう少し丁寧に触れたほうがいい」
「この場所は、しっかり触れると身体の反応が変わる」
という、自分なりのポイントが少しずつ生まれていました。
いわば、臨床の中で自然と「手が止まる場所」ができていたのです。
そして東洋医学を学んでいくと、その場所と経穴が重なっていることに気づきました。
「これは、いったいどういうことなんだろう?」
私は、そこから経穴そのものに興味を持つようになりました。
経穴は、どうやって見つかったのか
そもそも、経穴はどのようにして見つけられたのでしょうか。
もちろん、現在のようにレントゲンやMRI、顕微鏡などがあったわけではありません。
諸説ありますし、現在の医学的な知識だけで経穴の起源を説明することもできません。
それでも私は、ひとつの想像をするようになりました。
それは、
「膨大な時間、人の身体に触れ続けてきた結果なのではないか」
ということです。
「なんとか、この人の苦しみを楽にしてあげたい。」
そう願った人たちが、何世代にもわたって人の身体に触れ、観察し、試し、また触れる。
「ここを刺激すると、何か反応が起こる」
「この場所に触れると、この症状が少し変わる」
そんな経験が、長い年月をかけて積み重なっていった。
その膨大な積み重ねの一部が、経穴として後世に残されていったのではないか。
私はそんなふうに考えると、経穴というものが少し違って見えるようになりました。
経穴を基準に身体に触れてみる
そこで私は、
「それなら、自分の経験だけを頼りにするのではなく、先人たちが残してくれた経穴をひとつの基準として身体に触れてみたらどうなるのだろう?」
と考えるようになりました。
実際に臨床で試してみると、患者さんの身体から返ってくる反応に、また驚かされました。
患者さんは、私が東洋医学を学んだことを知っているわけではありません。
それでも、触れる場所や触れ方を変えることで、身体の反応が変わることがありました。
もちろん、経穴を刺激すれば必ず症状が改善する、という単純な話ではありません。
しかし、長年身体に触れてきた理学療法士としての経験と、東洋医学に残されている身体への触れ方を重ねてみると、そこには興味深い共通点があるように感じています。
理学療法士として、鍼灸師として
東洋医学は、身体を捉える考え方が西洋医学とは大きく異なります。
私自身、東洋医学をすべてそのまま受け入れているわけではありません。
一方で、理学療法士として長年、人の身体に触れてきたからこそ、何千年もの間、人の身体に触れ続けてきた人々が残した知恵に、強く惹かれる部分があります。
西洋医学と東洋医学。
一見すると、まったく違う世界のように見えます。
けれど、
「人の身体を実際に見て、触れて、感じる」
というところには、どこか共通するものがあるように私は感じています。
経穴は、何千年もの間、人の身体に触れ続けてきた結果として残された、ひとつの知恵なのかもしれません。
それは単なる学問というよりも、どこか「祈り」に近いものを感じさせます。
「この人を、なんとか楽にしてあげたい。」
そんな思いが、何世代にもわたって積み重なってきたのだとしたら。
もしかすると、何千年も前にも、今の私と同じように、誰かが誰かの身体に触れていたのかもしれません。
そう思うと、言葉にできないつながりを感じます。
そして、そんな貴重な知識を後世に残してくれた人たちに、感謝を伝えたくなります。
私は理学療法士として20年以上、人の身体に触れてきました。
そして鍼灸を学ぶ中で、何千年もの間、人の身体に触れ続けてきた先人たちの知恵にも触れました。
青竹では、これまでの理学療法士としての経験と、鍼灸師として学んできた東洋医学の知識。
その両方を大切にしながら、一人ひとりの身体に触れています。
身体は、教科書だけでは分からないことがあります。
だからこそ私は、これからも身体に触れ、身体の反応を感じながら、学び続けていきたいと思っています。
